インコの日記

さえずり、ドラミングなど

立ち食い蕎麦では孤独を手繰れ

立ち食い蕎麦が好きだ。必ずしも立ちながら食う形式でもなくていい。カウンター、器、自分。食事に必要な三位一体の極致に辿り着いた形式の立ち食い蕎麦。これをこよなく愛している。立ち食い蕎麦の唯一にして最大の利点は「食事以外何も考える必要がない」こと。これに尽きる。老いも若いも、役職の有無も、正規非正規も、襟の色も、すべて無価値な空間に押し込まれ、ただただ目の前の蕎麦と対峙し、勝負が終われば「ごっそさん」。なんとドライで平等な空間だろうか。安い、早い、旨いを突き詰めた究極の合理空間に真の安寧がある。美しい数式ほどシンプルなのと同様、極限に至る道は常に単純にして明快だ。

 

話は戻るが、自分は立ち食い蕎麦が大好きで、立ち食い蕎麦のためだけに遠出するほどの熱狂的な愛好家だ。同系統であればチェーンも個人店も関係なく、どんなものでも手繰る。旅先の駅のホームで何の気もなしに手繰った一期一会の味も大好きだし、”いつもの”店で出てくる”いつもの”蕎麦にしか出せない味も代えがたい。しかし何より立ち食い蕎麦の味になる要素はシンプルに孤独さである。身もふたもない話をするがたいていの立ち食い蕎麦は美味しくない。無論、店によっての上下はあるものの、同じエリアできちんと座って食べる店と比べた場合、立ち食い蕎麦が味で劣るのは自明だ。そもそも立ち食い蕎麦は低単価*回転数で収益を稼ぐビジネスモデルであるから単価と効率にステータスを振るのは当然だ。それではなぜ美味しくもない立ち食い蕎麦を食うのか。理由は簡単。”孤独”が旨いからだ。

 

平日のビジネスマン、特に営業マンともなれば、業務時間中に一人になれる時間は存在しない。社内外のメール・電話をこなしたらあっという間に昼休み。午後のアポのために早出して面談をこなし、会社に戻って残務をこなしたらもう終業だ。午後の予定がない日にはランチのお誘いが入って愚痴の相談会。こんな日々で唯一、他者との関係を断つことができるアジール、それが立ち食い蕎麦だ。

立ち食い蕎麦ではまず先に発言権が奪われる。店内では蕎麦orうどん、温or冷、てんぷらの種類以外の一切のコミュニケーションが許されない。せいぜい許可されているのは「すみません」「ごっそさん」ぐらいなもので、否応なしに他社との関わりが断絶される。次にパーソナルスペースが失われる。最近でこそコロナ対策でパーテーションが置かれているが、A3一枚のスペースしか与えられないことが大半だ。

他者との交わりが一切排された空間で一椀の蕎麦を見つめ、手繰る。次第につゆの中に朧げに浮かぶシルエット。そこに写るは生きるために食にありつこうとする真にスパルタンな自分の顔。これこそが立ち食い蕎麦の最高のおかずだ。

 

これを求めて日々立ち食いそばを手繰っている。幸いなことに、蕎麦は栄養豊富な健康食品なので毎日食べても体に害はない。これからも事あるごとに立ち食い蕎麦について語っていこうと思う。

かけ+紅ショウガ+唐揚げ+もやしのナムル(無料)
これで500円。